『サハリンを忘れない』発売から2週間、ちらほらとレビューをもらう。
私一人にとどめておくのも、もったいないので、少しづつ紹介しようと思います。
温かい感想をありがとう。
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「サハリンを忘れない」を仕事の合間を見つけて
わくわくしながら読ませて頂いております。
本をぱらぱらとめくり、優しい色合いの写真で手を止めては、じっとみています。
まず「サハリンを忘れない」というストレートなタイトルにはっとしました。
後藤さんはどんな思いで、このタイトルを選ばれたのだろうと。
10年以上、一つのテーマを追い続けるご姿勢、制作者の端くれとして、
尊敬しかありません。本当におめでとうございます。
後藤さんの写真は「戦争の悲劇」や「苦労の歳月」を伝えるのではなく、
日常のかけらを優しく写しとり、長い年月を愛でるように伝えていると私は感じています。
きっと被写体の方々も、このような形で自分の生きた証が残り続けること
とても嬉しいのではないでしょうか…
もしかしたら、ご本人ではなく、次の世代が、この本を手にして、
お父さん、お母さんがどうやって生きていたのか、ふと知る機会になるのかもしれないですね。(メディア関係 女性)
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まるで長い、長い年月かけてポタポタと岩から染み出た清水を飲み干したように、不思議な清涼感に包まれている。 何だろう、この気持ち。後藤悠樹さんのデビュー作「サハリンを忘れない」を読み終えてボーッとしている。 彼が青春を費やしてトボトボ歩き続けたサハリン。前の戦争が終わってもう70年とかたって、あの島に住む人たちの歳月がポタポタと濾過されて、清浄な水となって後藤さんの乾きを癒やしたんだろうな。 後藤さんの一期一会の旅の記録、彼はいつまた会えるのかわからない取材先に、また会いましょうと言って、でも本当はいつ会えるかわからないんだと何度も自問自答している。 前の戦争が終わってサハリンに残留を余儀なくされた人たちのライフヒストリーが淡々と綴られている。狂気の戦争の果てに、国に捨てられ、家族に捨てられ、鉄のカーテンに閉ざされた向こうにある〈祖国〉。どれだけ、みんな胸を焼き尽くす思いで北海道の島影を臨んだことだろう。 だけど、負けなかった。みんなサハリンに根を張って、新しい家族をつくり、子どもたちを育て上げた。 後藤さんのペンも、カメラも70年余の置き去りにされた人たちの寂寥を活写しつつ、日本人でもない韓国人でもないロシア人でもない、いわば「サハリン人」として、たくましく生きる人たちを優しく、優しく描いている。 わたしが好きなのは、サハリンの日本人を訪ね歩くときの息づかいが伝わる紀行文だった。引用が長くなるけれど、ハツエさんのイチゴを食べたときはこんな感じ。 〈収穫された今年最後のイチゴは、その後数日間にわたって主に、私とハツエさんによって食べられた。ヴィーチャさんは手もつけず、ターニャさんはちょっとつまむくらいで、その他は一度だけお客さんにも出されたのだが、あまり食べられることもなく、ほとんど私たちふたりで食べた。そのまま食べてもよかったけど、ロシアでよくやるように砂糖をまぶして食べてみたり、日本のように練乳をかけてみたりして、朝食の後にも、昼過ぎのおやつにも、夕食のデザートにも、まるでイチゴ中毒者のように1日中いつでも食べ続けた。それでも食べきれなかった分は、私がユジノへ帰る日にハツエさんが、ピクルスの空き瓶に目一杯入れて持たせてくれた〉 取材者と取材対象という垣根を越えて、ああ、二人は生まれたところも年齢も人生の何もかもが違っているのに、こんなにわかり合えるんだ、と、わたしまでイチゴを口いっぱいに頬張って、甘酸っぱい味を楽しんでいるように思った。 この作品全編に彼のさりげない、清浄な紀行文がちりばめられている。好きだな、こういうの。 口幅ったいが、これは後藤悠樹さんの愛の物語である。(作家 奈賀悟)
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(梅田智史さん)
5月21日追記
出版社が教えてくださいました。レビュー誠にありがとうございます!
イラストレーターの織田博子さん
音楽家の川口大輔さん
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